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ロールシャッハ法における現象の共有と関係


 本学心理教育相談室の年報に,柄にもなく標題の記事を書きました。あんまり人の目に触れないのも原稿が気の毒なので,許可を得てここに転載します。

 

 ロールシャッハ法は,インクの染みを刺激に用いた投影法人格検査である。この検査を被験する者は,インクの染みが印刷された図版について,まずそれが「何に見えるか」述べるように教示される。そもそもここで用いられるインクの染みは,何らかの対象を見やすくするような特徴量を含んではいるものの,特定の対象をそのまま描いているわけではない。そのため,報告される知覚対象は実に多様であるし,その個人差も大変大きくなる。

 さらにこの検査では,報告した知覚対象が「どこに・どのように」見えている/見えていたのか,質疑を通して説明することが求められる。検査者は反応を所定の基準でもってコーディングするために質疑を行う。そこには一定の職業的要請があるから,検査者は必要十分な情報を得るまで質疑を続ける。つまりこの検査は,個人的な現象学的経験を,会話のなかで検査者と共有し,一定の形式で検査者に理解させるという課題を,被験者に与えている。

 ひるがえって検査者は,上記のような課題を通して得られた被験者の言語反応から,その被験者の人となりを理解しようとする。言語反応は様々な基準でコードされるが,その中核を成す「反応決定因」は,形態・運動・色彩・材質・奥行きといった,知覚的・認知的な体験様式を基礎としたものである。しかし我々は体験の様式を直接観察できない。そのため検査者は,言語反応からそれらを推論し,コードに反映させる。そして,図版10枚分のコードは指標化され,ひとまずの数量解釈に利用される。ここでは,被験者の情報処理様式だけでなく,情動制御や対人関係など,ひろく言えば人格に関する推論が行なわれる。つまり,視覚刺激に対する言語反応から,その体験様式を推論・抽出し,それをもとに被験者の人となりについて推論するというのが,この検査の一側面である。

 さて,コーディングの対象となる言語反応は,現象学的経験を共有しようとする2者による会話の過程そのものである。検査者は,個人内でも個人間でも,なるべく同じ条件になるよう努めて検査に臨むが,それは必ずしも簡単なことではない。第一に,検査技術の習熟度は,検査結果を大きく左右する(Lis, Parolin, Calvo, Zennaro, & Meyer, 2007)。また,検査者が同じように振る舞おうとしても,被験者は一人ひとり違う。たとえばBerant, Newborn, & Orgler(2008)は,自己開示的な人物においてのみ,特定の指標と個人の性質とがよく相関することを示した。考えてみれば当然だが,ロールシャッハ法というフィルターを通したとしても,会話に自身の経験を反映させない人物について,我々が多くを知るのは難しいことなのだろう。裏を返せば,被験者を非自己開示的にするような2者関係の有り様もまた,検査結果と個人の性質との繋がりを弱めるように働くのかもしれない。

 次に,成人のアタッチメント理論から,この問題を考えてみよう。この理論は,親密な関係を通じて行われる感情制御に関するものである(Mikulincer & Shaver, 2011)。自己開示は親密化の初期段階において頻発するコミュニケーションの様態であるから,親密な関係への関与を避ける形で感情制御を行う人物は,自己開示をする機会も乏しくなる(Mikulincer & Nachshon, 1991)。そうしたアタッチメント特性を有する人物が,ロールシャッハ法において示す反応特徴を一言で表現するなら,ハイラムダである(Berant, Mikulincer, Shaver, & Segal, 2005)。これは,形態のみに頼った説明が相対的に多くなることを示している。形態はあくまで図版のプロパティであるから,それに頼った反応には経験の様相が反映されにくい。つまりそれは,ロールシャッハ法の結果から分かることが相対的に少ない,ということである。このように,被験者の対人様式それ自体が検査結果に影響し,そこから掬える情報をも左右するのである。

 検査者と被検査者は図版という物理的実体を媒介として経験の共有を進めるが,そこには当然,関係の補助線が引かれている。ロールシャッハ法が関係的な事態である以上,そこから得られる知見もまた,両者の結ぶ関係の影響を免れ得ない。Deschenaux, Lecours, Doyon, & Briand-Malenfant(2010)によると,ロールシャッハ法の最中に検査者と被験者が経験している感情は,一定のパターンで相関するのだという。特に顕著なのは,被験者の感じる虚しさと,検査者の否定的感情全般との相関関係である。検査者の感情が負の方向に揺さぶられる時,被験者は空虚なのだ。そして被験者の虚しさは,彼ら自身の反応を陰惨で(MOR),攻撃的なもの(AG)にし,感情的な反応性を弱める(Afr)。ロールシャッハ法においてさえ,検査者と被験者の感情は関係の中で互いに影響し,やがて反応そのものを変性させるのである。

 ここに至り,ロールシャッハ法で示される反応特徴が,被験者の性質を反映したものなのか,検査者との関係性を反映したものなのか,それとも検査者の性質を反映したものなのか,簡単に言うことはできなくなってくる。ロールシャッハ法を実施するときに,それらの成分を分離して理解することなどできるはずもないし,それはむしろ現実から乖離した発想である。残念ながら,これは着地点がすぐに見つかるような単純な問ではない。それでも論を閉じる必要はあろうから,ここまでに挙げた知見も含めて考えるならば,検査者と被験者との関係性次第で,共有される現象学的経験の様相は大きく異なるし,検査を通して「分かる」ことも全く異なったものとなり得る,とは言えるだろう。なお,検査はその性質として「分かる」ことを志向するが,もしも会話のなかで,検査者の中に「分からない」という現象学的経験が生じたならば,それこそ関係の産物である。むしろ積極的に,査定の鍵としたい。

 本稿では,平成29年度公開研修会での講演内容をもとに,ロールシャッハ法の関係的な側面について議論を行った。このような自由な議論を行う機会を提供して下さった先生方にお礼を申し上げて,この稿を閉じる。なお,紙幅の関係から引用文献リストは省略した。

 

岩佐 和典 (2017). ロールシャッハ法における現象の共有と関係 就実大学心理教育相談室年報, 2, 10-11.


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