"Pain! Pain! Attention Please! (PPAP)" 慢性痛の実験精神病理学 EAPoM#01
Behavioral Therapy and Researchのvol.86で,"Experimental psychopathology approach to understanding and treating mental disorders"という特集が組まれていました。「精神障害を理解し,治療するための,実験精神病理学的アプローチ」とでも訳しましょうか。特集の首謀者はCraske。これは全編読むしかありません。
せっかくだから,これは誰かと一緒に読もうと思いました。そこでまず新潟大学の田中恒彦さんをお誘いし,そして彼から,同じく新潟大学の佐藤友哉さんをご紹介頂きまして,ひとまずその3名でオンライン研究会をやりましょうということになりました。会の名前は,Psychopathologyではなく,Abnormal Psychologyにしました。そっちの方が好きだから。略してEAPoM。イーポム。A POEMのアナグラムっぽくて良いなと思います。ポエムは大事だよ。
さて,2016年11月9日がその初回でした。題材はVlaeyenらによる慢性痛研究のレビュー論文,”The experimental analysis of the interruptive, interfering, and identity-distorting effects of chronic pain.” でした。慢性痛による生活の妨げや,自己概念への影響を実験的に検討した研究のレビューです。
全体を通して,「短期的には適応的ですらある回避行動や回復行動も,そればかりしていると,かえって慢性痛の問題を深刻化させるし,余計に長引かせてしまう」というノリですね。精神疾患について勉強している我々にとっても,馴染みのある考え方だと思います。そのうえで取り組むべき問題は,なぜそうなってしまうのか,そのせいでどうなってしまうのか,どうやって治療すればよいのか,といったあたりなのでしょう。
Pain! Pain! Attention Please! (PPAP)
この論文では,まず痛みによるinterruptionについて,特に注意を中心とした実験研究を紹介していいます。痛みは,注意を引きつけ,その時やっている行動を中断させるように働きます。それ故,身体の傷つきを知らせるシグナルとして機能するんですね。急性痛の場合はそれで大変結構なんですが,慢性痛の場合はちょっと事情が違う。なぜなら,通常の治療が奏効しない持続性の痛みを,慢性痛と呼ぶからです。ずーっと注意を引きつけられて,ずーっと何かを中断し続けるのでは,人生が立ち行きません。しかし,実際にそのような状態にある人々こそ,慢性痛の患者さん達なのです。痛みの性質を考慮すると,それも無理からぬことではある。
実際,痛み刺激を与えられると認知課題の成績が低下する,という実験結果が盛んに報告されています。特に,痛みの程度が強い場合はそれが顕著です。痛ければ痛いほど,痛みに気を取られてしまう,ということですね。それゆえ,集中することや,記憶することが難儀であるとの訴えもしばしば聞かれます。無理もありません。ずっと痛いのだから。
こうした痛みによる注意のひきつけ効果には個人差もあるようです。特にそれが大きくなるのは,痛みの破局化思考をしがちな場合なのだといいます。「どんどん悪くなってしまうに違いない!」とか「これは絶対この後痛くなるぞ!」とか,そういった思考ですね。つまり,痛みにこの種の考えが伴ってくると,必要以上に注意を引きつけられるハメになる,ということなのでしょう。そしてもちろん,注意を向ければ向けるほど,主観的な苦痛は増すし,痛みの激化を恐れる気持ちも大きくなります。
注意が向きやすいのなら,なんとかして別のとこに向けようぜ!ということで,注意コントロールの研究ですね。一貫して述べられていることは,「ただ痛みから注意を逸らすだけではうまくいかない。痛みと競合するような,価値のある事柄に注意を向けるようにする方が良い」ということです。したがって,痛みを減らそう!という目標から脱して,自分にとって価値のある,また別の目標を追求するように促そう!という治療方針になってくる。これは僕もそう思うし,実際にそうすることが多いです。なんせ,痛みそのものをコントロールしようとすると,痛み情報への注意バイアスが強まる,という実験,コントロールを諦めると注意バイアスもなくなる,という実験なんかもあるくらいです。こういった知見は,動機づけ的な文脈の効果に注目することを促してきますね。治療的にも,重要なことだと思います。実験では「価値」がほとんど金によって操作されている辺りに笑ってしまいましたが,金ほど明確で個人差の小さい「価値」も無いでしょうから,実験条件としては非常に便利なのだと思いました。
”I avoid, there must be danger!”
第2のテーマは,回避行動の学習です。痛みは,それに先行する状況や動作への恐怖と,それに伴う回避行動を学習させます。それらは,類似する状況や動作に般化していき,結果として恐怖や回避行動を引き起こす刺激がどんどん増えてしまう。言い方を変えると,怖くなったり,避けてしまったりする頻度が増えることで,行動の範囲やレパートリーが制限されていくということです。
注目するのは「痛みへの恐怖」です。この際,痛みは無条件刺激USとみなされ,痛みへの恐怖は無条件反応URとみなされる。たとえば,背中を伸ばすという動作に痛みが伴うのだとすると,それはつまり痛みというUSに,背中を伸ばす際の筋運動感覚等の感覚入力が対呈示されるということです。結果として,背中を伸ばすという動作に伴う種々の感覚入力が条件刺激CSとなる。そして,それらと類似した情報は般化刺激GSとなり,痛みへの恐怖はどんどん広範囲に広がっていく,というようなことが説明されていました。そこから導かれる介入手法は,当然,エクスポージャーです。
とはいえ,ここでの恐怖は,不安症にみるような燃え上がる恐怖とは,ちょっと違うように思えます。単純に言えば,それと比べてarousalは低いように思うのです。したがって,痛み恐怖に対するエクスポージャーの機序を説明するうえで,馴化モデルなんかは相性悪そうです。むしろ接近行動をとることで予期を打ち破ること(expectation violation)が,「表象を変化させる」というような説明が良いのかもしれない,なんて議論も我々のなかでも行われました。Craskeモデルですね。
面白かったのは,Cueのはっきりした痛みに対する恐怖と,Cueのはっきりしない痛みに対する恐怖とでは,なんか色々違うだろうという議論でした。ここで前者はCued pain-related fear,後者はContextual pain-related fearと呼ばれています。つまり,予想しやすい痛みと,そうでない痛みがあるということです。後者の例として線維筋痛症が挙げられていましたが,確かにあれは,いつどこで痛いのかよく分からない,と報告する患者さんも稀でないように思いますね。そして因果推論が容易でないために,より広い範囲に恐怖が般化していくような,そんな印象も受けています。
僕自身は学習心理学にそれほど詳しくないので,この辺りは田中先生と佐藤先生に解説いただきながら読みました。レスポンデントとオペラントのなかに埋め込まれた複雑なプロセスだなぁなんて思いつつ,ノートにはこんな図式を書いたりしてました。破局化思考の置き所がよく分からん。
痛み恐怖の消去についても書かれていました。痛み恐怖を学習させてから,消去をかけていく段階で,「これを押すと確実に痛みを免れますよ」という安全ボタンを押してもOK!っていう実験条件を設定した実験は,素晴らしく素晴らしいと思いました。2012年の論文です。テスト段階でボタンを押す自由を奪った途端に,恐怖が再び表れてくるという結果は,安全行動の機能を明確にデモンストレーションしているように思えます。また,エクスポージャー中の安全行動を許すかどうか,という問題にNoを突きつけるような知見でもありますね。この実験は面白いと思いました。
"Who am I ? "
最後のテーマはマクロな視点に飛びます。痛みによる自己感覚の変容。前はできてたことができなくなる。自分にかける期待を満たせなくなる。これまでの役割を失い,価値ある目標を追求できなくなる。そうなったとき,「オレは一体何者なんだ」という感覚が首をもたげてくる。そんなような話です。実際に患者さんとお話する場面では,めちゃくちゃ重要な論点ですけど,まだ実験はこれからという感じでした。でもほんと,重要な話だと思いますこれは。
From RCT to SCED
そしてこの論文はRCTから単一事例実験へのパラダイムシフトが必要だよ,と説いて終わりを迎えます。分からなくもないです。MOSTとかSMARTとか,新しい実験デザインの話もちらほら。SMARTはSequential Multiple Assignment Randomized Trialの略で,ステップドケアの効果検証に使いそうなデザインみたいですね。
以上,面白い論文でした。
次回は12月7日。テーマは,うつの実験精神病理学です。